議会報告

  • 2013年11月25日
    9月議会(10/15)「県迷惑防止条例改定」反対討論(岡本和也議員)

 私は日本共産党を代表して「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例の一部を改正する条例案」について反対の立場から討論いたします。

 同条例は、県民の日常生活にかかわる行為について、より広範に、罰則を強化して対応しようとするもので、各地での迷惑防止条例での、えん罪の発生していることや正当な活動を制限する危険性も指摘されるなど基本的人権にかかわる重要な内容を含んだもので慎重の上にも慎重な取り扱いが求められています。反対理由を4点申し上げます。

  第一に、同条例案の11条「いやがらせ行為の禁止」には憲法に抵触する重大な問題があります。

 たとえば、労働組合や市民運動で行っている使用者や加害企業に対する要請行動・抗議行動などは、通信手段を使ったり、文書を送付したり、訪問したりして行なうのが日常の事となっています。その社会的責任を追及する宣伝活動も必要不可欠の手段となっています。また、報道機関(フリーを含む)も、社会的に注目される事例ほど通信・文書・訪問・待機などの行動を行ないながら、取材すべき相手方に対して国民の知る権利に役立つ取材をしているのが日常です。
 そして、これらの活動は、要請・抗議の相手方や取材の相手方が不安や迷惑な思いをする事があっても、労働組合の団体行動権、市民の言論表現の自由、国民の知る権利と報道の自由などの基本的人権が尊重されるべきものとして、当然に認められてきました。それは県民の暮らしを守る大事な活動です。

 ところが同条例案は、これらの行為を「つきまとい」「監視」「面会の強要」「連続してファクシミリでの送信」「名誉を害する事項を告げ」などで規制する危険性が排除されていません。

 条例案は「悪意の感情を充足する目的で」とか、「反復して」との表現を使っていますが、「悪意の感情」というあいまいな表現では、社会的不正に対する怒りや不満の感情を除外したことにもなりません。不正をただす行動や取材は、それこそ反復されるのが通常ですから、何の限定にもなりません。

 同条例案が12条で「県民等の権利を不当に侵害しないことに留意しなければならない」と言わざるを得ないのは、そうした危険性を同条例案が基本的性格としてもっているからです。しかも、一旦、逮捕、起訴されれば裁判を通じてしか不当性を明かにできず、かりに裁判で不当性が証明されても、その間、金銭面でも、社会的経済的地位においても訴えられた側の損失は甚大なもとなり、正当な要請・抗議活動、取材を萎縮させる効果をもっています。

 私が総務委員会で具体的に質問した「現場の警察官の見方によって違反行為は様々に解釈できることから、警察官の見方で統一した行動がとれるマニュアルの作成」の必要性については、そうした危険性のあることの証明でもあります。

  第二に、条例改正の必要性、立法事実がきわめて曖昧だという事です。数字資料や一般的な事例は紹介されていますが、具体的事案において、警察だけでなく様々な角度からの対応を講じたが、どう法的な限界があったのかが示されていません。先の「違反行為は様々に解釈できる」と言う発言は、具体的事実から練り上げたものでないことを示したものと言えます。民民の争いなどを扱っている弁護士会の内部においても、条例が不備なので改定すべきとの声は聞こえてきません。

  第三に、いやがらせなど迷惑行為を罰則強化で解決しようする姿勢だけでは、現状に対応できません。迷惑行為には、社会的孤立や精神疾患をともなったものも少なくありません。たとえば住民と対立しているゴミ屋敷問題では福祉職員による訪問で、社会的孤立を解消し生活改善をする取組を実施している自治体もあります。また刑法の世界でも、知的障害のため社会に居場所を見つけられず、万引など軽い犯罪を繰り返す「累犯障害者」には、刑罰では効果がなく地域福祉の支援が必要との認識が深まっています。検察庁は滋賀県や長崎県で、福祉的支援をする事業を試験的に実施しており、9月の大津地裁は、その観点から判決をしています。また、超高齢化社会を迎えて、認知症も増える事から、迷惑行為というものにも福祉分野を含めた総合的な対応が必要となっています。しかし、同条例案の提案にあたっては、そうした最新の知見にもとづいて県庁内で総合的に検討された形跡はなく、むしろ社会的孤立を深め、ケースを悪化させる危険性を内報しています。

  第四に、県民の人権にかかわる問題なのに、県民に周知し意見を聞く取組が極めて不十分だということです。パブリックコメントも実施していません。内容上も「様々に解釈できる」状態で、マニュアルも作成されていません。

  以上、人権を不当に制限する危険性のある同条例案が十分な県民的議論もなく制定されることは、到底賛成できるものではありません。その事を申し上げ反対討論とします。