議会報告

  • 2014年03月24日
    2月県議会 地方教育行政への国や首長の関与の強化に反対する意見書への賛成討論 米田稔議員(2014.03.19)

私は、日本共産党を代表して只今議題となりました、議発第14号「地方教育行政への国や首長の関与の強化に反対する意見書」議案に賛成する立場から討論を行います。

 

戦後の地方教育行政は、教育が戦争への道を突き進む原動力の一つになったとの認識に立ち、学問の自由や教育を受ける権利など基本的人権の保障、地方自治の原則などに則り、国や行政権力から独立し、国民に直接責任を負って行われるものへと変革されました。

 ところが、安倍政権がすすめようとしている教育委員会制度「改革」案は、首長が主宰し、教育委員らも参加する「総合教育会議」を全自治体に設置。教育政策を盛り込む「大綱的方針」を策定する、教育委員長と教育長(事務執行責任者)を統合した新しい「教育長」を設け、首長が任命、任期は3年、とするなどより首長の意向が反映されやすいものとなっています。

12日に制度「改革」について自公合意されましたが、教育委員会から実質的権限を奪い、それを形骸化させるものであり、教育の中立性、独立性を守るためにつくられた制度の根幹を変えるという本質は全く変わっていません。1976年の最高裁学力テスト問題の判決に示された、「教育内容に対する権力的介入は抑制的であるべき」とする日本国憲法の要請を踏みにじり、教育への無制限の権力的介入・支配への道を開くものとなっています。

 こうした政治介入を強める改革案について、多方面から批判の声が上がっています。

 高知新聞は2月22日の社説「拭えない政治介入の恐れ」の中で、「改革」案について「自治体首長の権限強化や地方の教育行政への国の関与拡大も懸念されている。 教育の中立性や独立性を損なう改革を受け入れることはできない。」として「軍部が教育に介入した戦前の反省を踏まえれば、今以上に国の関与を強める必要性があるのか、疑問を禁じ得ない。」「制度改革によって、教育委員会を国や首長の意向を通すだけの「道具」にしてはならない。」と指摘しています。琉球新報2月19日付の社説「政治介入を招き危険だ」は、「首長に権限が集中している改革案は、政治家たる首長が政治的な思惑で教育内容に介入する「暴走」があり得る。実効性ある歯止め策が整っているとは思えない。」「法案はあまりに危険だ。」と批判しています。

 そもそも教育には時間がかかります。だからこそ安定性が重要です。政治的な思惑で教育内容が変わり、首長が変わるたびに、その一存で教育現場がふりまわされるという混乱が起こり、不利益を被り、その最大の被害者となるのは子どもたちであり、日本の未来です。

教育委員会制度改革を審議する中央教育審議会の分科会臨時委員に任命された教育長の経験もある門川京都市長は、昨年、5月17日京都新聞の記事の中で「首長が代わるたびに学校の教育方針から教科書、教え方まで変わっては、保護者の信頼や教員のやる気につながらない。子どもの自立する力を育む長期的な取り組みについては、首長の1期4年の任期で成果を求めてはいけない、と指摘しているように、保守的な政治家を含めて、共通する認識です。

 

 政治が上から教育に介入する点については、1947 年学習指導要領「試案」は「これまでの教育では,その内容を中央できめると,それをどんなところでも,どんな児童にも一様にあてはめて行なおうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって,教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。このようなことは,教育の実際にいろいろな不合理をもたらし,教育の生気をそぐようなことになった」と戦前の教育について反省をのべています。その結果、子どもたちの実態にもとづいて、教育課程の編成を各学校で行うこととしてきたのでした。それは、成長・発達の主体は、子どもたちであり、その子どもたちの実態から出発することなしに教育の目的である人格の完成はなしえないとの教育の条理から導き出されたものです。

この基本原理をないがしろにし、首長や国の権限を強化することは、子どもたちの成長や発達を時の政治権力や国家に従属させるものであり、幸福追求権など憲法の諸原則にも反しており、断じて容認できません。

 

安倍政権は、教育委員会制度「改革」の理由に、責任が曖昧で審議も形骸化し、いじめ自殺などに迅速に対応できないとことを口実にしていますが、これはまったく為にする論議です。

琉球新報社説は「そうであるなら、首長の権限強化ではなく、教育委員会を形骸化させない改善策を考えるべきではないか。」と指摘しています。高知新聞の社説も「首長の権限を強めても、そうした課題が一気に解決するとは思えない。・・・教育委員の常勤化を含めて、教委の機能を高める態勢づくりにもっと力を入れるべきだ」と述べています。至極当然な意見です。

 そもそも、この改革は、地方行政、地方教育行政の現場が求めたものではありません。

昨年の8月の中教審に報告された、全国の計1120市区町村の首長と教育長を対象にした、教育委員会のあり方に関するアンケート調査査結果によると、「教育委員会が首長部局から独立していることが首長にとって制約になっている」かについて、首長の51%、教育長の59%が「そう思わない」と回答。「教育委員会が合議制であるため事務執行が遅滞しがちである」かについては、首長の62%、教育長の76%が「そう思わない」と答えています。そして「現行の教育委員会制度を廃止して、その事務を市町村長が行う」方向については、首長の58%、教育長の85%が「反対」と回答しています。

 

今日国民と教育現場がもとめているのは、子ども、保護者、住民、教職員の声をきちんと受け止め、それを教育行政に反映させる機能を果たすよう教委制度の民主的改革を図ることです。そして多忙化解消など教育の専門家としての教師の働く環境の整備であり、教育負担の軽減など子どもの貧困の解消であり、そのためにGDP比で先進国最低の教育予算の抜本的拡充などです。

よって、教育の条理に反し、多くの懸念の声が示されている国や首長の関与の強化につながる制度改革に反対する同意見書案を可決することは、子ども達と日本社会の未来を守るために極めて重要です。

 

いま、安倍政権は、改憲・集団的自衛権行使容認の動きなどに見るように「戦争できる国づくり」、また「世界で一番企業が活動しやすい国づくり」を進めようとしています。教育をそのための道具にしようというもので、国のために進んで協力する子どもをつくる、教育を大企業に直接役にたつものに変えようとする狙いが込められていることは明らかであります。まさに今回の教育委員会制度改革、道徳の教科化など、安倍「教育再生」はその一環であります。

この流れに抗して、子どもを主人公とする父母・国民の連帯、共同の輪を大きく広げる中で、憲法と子どもの権利条約に基づく教育、人格の完成を目指す崇高な目標が達成される教育を切り開くことを願って、第14号議案の賛成討論とします。

同僚各位のご賛同を心からお願い申し上げます。