議会報告

  • 2014年07月07日
    6月県議会 集団的自衛権の行使を容認しないことを求める意見書への賛成討論 塚地佐智県議(2014.07.04)

私は日本共産党を代表し、ただいま議題となっています議発第11号「集団的自衛権の行使を容認しないことを求める意見書」議案に賛成の立場から討論を行います。

 先の坂本議員の提案理由の説明でも述べられたとおり、7月1日の閣議決定は、集団的自衛権を容認し、「憲法9条のもとでは海外での武力行使は許されない」という従来の政府見解を180度転換し、「海外で戦争する国」へと道を開くものとなっています。こうした憲法改正に等しい大転換を、与党の密室協議、一片の「閣議決定」で強行することは、政府が憲法によって拘束されるという立憲主義を根底から否定する民主主義破壊行為に他なりません。

 政府は、政府による憲法の解釈、集団的自衛権と憲法の関係について、2004年6月18日付の「閣議決定」で、次のような立場を明らかにしています。「政府による憲法の解釈は・・・・それぞれ論理的な追求の結果によって示されてきたものであって、・・・政府が自由に憲法の解釈を変更できるものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねない」「憲法について見解が対立する問題があれば,便宜的解釈の変更によるものでなく、正面から憲法改正を議論することにより解決を図るのが筋(である)」と述べています。

  集団的自衛権を巡って、国民の中で深刻な「見解の対立」があることは誰しも否定できない事実です。そうであるならば、「便宜的な解釈の変更」を行うことは、過去の「閣議決定」にも真っ向から背くものです。

 もともと、「集団的自衛権行使は,憲法上許されない」とする政府見解は、ある日突然、政府が表明したというものではなく、半世紀を超える長い国会論戦の積み重ねを通じて、定着、確立してきたものです。それを、国民多数の批判に耳を傾けることもなく、国会でのまともな議論も行わず、与党だけの密室協議で、一片の閣議決定によって覆すというのは、憲法破壊のクーデターとも呼べる暴挙であり、断じて認めることはできません。

 私たちは、安倍自公政権のこの歴史的暴挙に強く抗議し、今回の「閣議決定」の撤回を求めると同時に、今後、閣議決定に基づき政府が具体化しようとしている法案の違憲性を明らかにしながら、自衛隊を戦闘地域に派遣することも、海外で武力行使をさせることも絶対に実行させない闘いを、国民の皆さんとともに取り組む決意をまず、申し述べておきます。

 今回の「閣議決定」は「海外で戦争する国づくり」を二つの道で推し進めるものとなっています。

第1は、「国際社会の平和と安定への一層の貢献」という名目で、従来の海外派兵法に明記されていた「武力行使をしてはならない」「戦闘地域に行ってはならない」という歯止めを外し、自衛隊が活動する地域を「後方地域」「非戦闘地域」に限定するという従来の枠組みを廃止し、これまで「戦闘地域」とされてきた場所であっても、支援活動ができるとしています。政府は、「日本がやるのは後方支援。ヨーロッパのNATO諸国のように武力行使を目的にした戦闘には参加しないから大丈夫」としています。

しかし、集団的自衛権を行使してアフガン戦争に参戦したNATOも、開始時は「後方支援」ばかりでしたが、その間の犠牲者は21カ国1031人にも及んでいます。「戦闘地域」での活動は、当然、相手からの攻撃に自衛隊をさらすこととなり、攻撃をされれば、応戦し、武力行使を行うこととなるからです。憲法9条を持つ日本人による支援は、武力行使をしないと国際的に認められているからこそ、医療等の人道支援や復興支援に大きく貢献ができています。この重要な存在価値を失うことは「国際社会の平和と安定」への貢献をかえって困難なものにしてしまいます。自衛隊を殺し殺される地域に派遣することは断じて認められません。

第2は、「憲法9条の下で許容される自衛の措置」という名目で、集団的自衛権行使を公然と容認をしている点です。

 「閣議決定」は、「自衛の措置としての『武力行使』の『新3要件』」なるものを示し、日本に対する武力攻撃がなくても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」には、武力の行使、つまり、集団的自衛権の行使ができるとしています。政府・与党は今回の決定について、あくまで「限定的」なものに過ぎないとしていますが、そのことは国民を欺く言葉の綾ともいうべきものです。「明白な危険」があるか否かを判断するのは、時の政権に任せられます。

日本弁護士連合会も「これらの文言はきわめて幅の広い不確定概念であり,時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性がきわめて大きい」と指摘しているとおり、まったく歯止めになり得るものではありません。「限定的」との判断も、時の政権の一存で、海外での武力行使がどこまでも広がる危険性があります。また、「必要最小限の実力行使」としていますが、いったん海外での武力の行使に踏み切れば、相手からの反撃がされ、際限のない戦争の泥沼に陥ってしまうことは、この間の歴史が証明をしています。集団的自衛権にはその持つ本質から「必要最小限」等ということはあり得ないのです。

 大量破壊兵器を持つ危険なイラクを封じ込めようとの名目で行われたアメリカによる無法なイラク戦争の現実から、私たちはしっかりと学ぶことが必要です。世界は今、この戦争の検証を行おうとしています。しかし、真っ先に賛成の態度を表明した日本政府はその検証も行おうとせず、集団的自衛権行使容認に突き進んでいます。

 戦後一貫して、日本国民は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した平和憲法の精神に立脚して歩んできました。紛争が起きても戦争にしない、人類の理想を掲げ続けることこそ、日本が行う世界の平和と安定への最大の貢献といえます。今、際限ない軍拡に足を踏み出すのか、ASEAN諸国のように、平和の共同体を創り、外交によって紛争を解決する道を押し広げるのかが鋭く問われる歴史的転換点にたっています。

 「自衛」の名のもと、2000万人のアジアの人々、310万人もの日本人の尊い命を奪った侵略戦争の反省を深く思い起こし、再び「海外で戦争する国づくり」に道を開く、集団的自衛権の行使容認は断じて認められないとする、本意見書案に、賛同いただき、子どもや孫たちに胸を張って語れる英断を心よりお願いいたしまして、私の賛成討論とします。